海洋人間学雑誌 第1巻・第1号
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設立記念大会シンポジウム3「漁業と安全」
漁船における作業評価と改善
髙橋秀行( 独)水産総合研究センター水産工学研究所)
キーワード:漁業労働,身体負担評価,人間工学
【はじめに】
漁業労働は漁獲対象生物の生態にあわせて行われるた
め,必ずしも人間にとって働きやすいものとなっていない。
また,漁船の大きさは総トン数で規制され,漁業者は限ら
れた空間を漁獲能力の確保に費やすため,安全で快適な作
業のための十分な空間が配分されにくい。つまり,漁船上
では労働の主体である人間の都合が後回しにされがちに
なっている。厳しい労働環境であるにも関わらず,漁獲量
の減少や魚価安などにより十分な収入が得られない。この
ような状況が,漁業者数の減少と高齢化の大きな要因にな
っていると考えられる。したがって,漁業を健全な産業と
して再興するためには,漁船の労働環境を人間中心の視点
で見直し,改善する必要がある。
本論では,漁船の労働環境改善に資する研究について議
論する。一概に労働環境改善と言っても多様なアプローチ
があるが,ここでは漁船上での作業が漁業者の身体に与え
る負担に着目し,日常の労働において過重な負担を生じる
作業を検出し改善していくための方法について論じる。
【既往の研究】
漁船上での作業における身体負担を定量的に評価した
事例としては,小型底びき網漁業(髙橋
2009
など),沖
合底びき網漁業(久宗
1999
,
Takahashi andHisamune 2008
),
船びき網漁業(加藤ら
2003
),わかめ養殖(長谷川
2006
)
などが散見される程度である。我が国の漁業種類の多様さ
を考えるに,漁船上での作業における身体負担に関する知
見はほとんど得られていないに等しい状況である。また,
これらの事例で用いられた評価手法はまちまちであり,事
例間の比較を妨げている。漁船上における作業を客観的に
認識するには,他産業を含めた事例間の比較が必要であり,
そのための統一的な評価手法を検討する必要がある。
【作業評価の方法】
陸上産業を対象として,作業時の身体負担を評価する
様々な手法が開発されているが,これらの多くは漁船上で
の作業に応用できる。身体負担の評価手法は,①概略の作
業姿勢から身体負担を指数値などで推定する方法,②作業
姿勢から特定の関節などにかかる負担を物理量として推
定する方法,③身体にセンサを装着して筋肉の活動量など
を測定する方法,などに大別される。このうち①は,作業
をビデオ撮影するなどすれば必要な情報が得られること
から,漁船上での作業にも適用しやすい。②の方法は①よ
り定量性の高い情報が得られるが,正確な姿勢の情報を得
るために撮影方法の工夫や,ゴニオメータ(関節の屈曲度
を測る装置)の利用などを検討する必要がある。③の方法
は最も直接的に身体負担を測定できるが,作業者の身体に
センサを装着する必要がある。②,③の方法は,常に海水
や風雨に晒される漁船上で精密機器類を扱わねばならな
い上に,漁業者の作業を阻害する恐れがあることから,適
用にあたっては慎重な検討が必要である。
上記の手法は,作業中のある瞬間における負担の程度を
評価するものであるが,身体負担の評価にあたっては,作
業に従事する時間の長さの情報も必要である。目視ないし
ビデオ撮影などで,主要な作業の開始と終了の時刻や,作
業に携わった漁業者の人数などを把握すれば,漁船上にお
ける作業の様相を俯瞰的に把握できる。
【船上作業を評価する際の留意事項】
前述の評価手法を漁船上での作業に適用する際には,船
体動揺に留意する必要がある。船体動揺は,漁業者の身体
にかかる負担や,作業の所要時間に影響を及ぼす可能性が
あるからである。また,陸上産業の場で開発された前述の
手法は,漁業に特有の作業姿勢を正確に評価できない場合
がある。将来的には,これらの特殊性を包含した,漁船上
での作業に適する評価手法の開発が望まれる。
【改善方策の検討】
評価の結果,改善の必要があると判断された作業につい
て,具体的な改善方策を検討する際には,他産業を含むで
きるだけ多くの既往事例から,対象作業の改善の基礎とな
るアイデアを得ることが望ましい。そのためにも,漁船上
での作業の調査事例を蓄積することが重要である。